日豊本線


【鹿児島~小倉間462.6km 大正12年12月15日全通】

日豊本線は、鹿児島駅から宮崎駅・大分駅を経由して,小倉駅に至る462.2kmの東九州を縦断する九州一長い鉄道路線である。
明治28年の小倉~行事(現在の行橋)間が開通し、大正12年までに小倉~吉松間が日豊本線として全通した。
その後,昭和7年に都城~隼人間が全通したことにより、小倉~都城~鹿児島間が日豊本線となり,都城~吉松間は吉都線と改称し、現在に至る。

日豊本線の歴史

【小倉~重岡間】
明治28年4月1日 九州鉄道により、小倉~行事(現在の行橋)間が開通
明治30年9月25日 豊州鉄道により、行橋~長洲(現在の柳ヶ浦)が開通し、九州鉄道と直通運転が行われるようになった。
明治34年9月3日 九州鉄道と豊州鉄道が合併
明治40年7月1日 九州鉄道が国有化後,明治42年に小倉~柳ヶ浦間が豊州本線と命名される。
明治44年11月1日 大分線として,柳ヶ浦~大分間が開通
大正5年10月25日 佐伯線として,大分~佐伯間が開通
大正11年3月26日 佐伯~重岡間が開通し、小倉~重岡間が豊州本線と呼ばれるようになる。
【鹿児島~重岡間】
明治34年6月10日 鹿児島~国分(現在の隼人)間が開通
※現在の隼人駅になるまで、次のとおり駅名が改称されている。
国分駅→西国分駅(昭和4年9月1日)
西国分駅→隼 人 駅(昭和 5年9月15日)
大正2年12月15日 宮崎県営鉄道の建設により、広瀬(現在の佐土原)~宮崎が開通
大正5年3月21日 宮崎~都城間が開通
大正5年10月25日 宮崎線として,吉松~宮崎間が開通
大正9年9月11日 高鍋~広瀬(現在の佐土原)間の開通により、吉松~高鍋間が宮崎本線となる。
大正12年7月1日 市棚~高鍋間の開通により、吉松~市棚間が宮崎本線の区間となる。
大正12年12月15日 重岡~市棚間の開通により、豊州本線と宮崎本線とが結ばれ,小倉~吉松間が日豊本線として全通
昭和4年4月28日 都城~財部間の開通
昭和4年11月24日 国分~西国分(現在の隼人)間の開通
昭和5年7月10日 霧島神宮~国分間の開通
昭和6年11月1日 財部~大隅大川原間の開通
昭和7年12月6日 大隈大川原~霧島神宮間の開通により、都城~隼人間が全通
これにより、小倉~都城~鹿児島間が日豊本線,都城~吉松間が吉都線と改称した。